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一夜で海に沈んだとされる「亀島」|お亀磯伝説の真相に迫る

FM都市伝説

徳島県徳島市の東沖約5キロの紀伊水道にお亀磯という岩礁があります。

今は絶好の釣りポイントとして知られていますが、大昔は多くの人が住む島で、一夜にして海に沈んだという伝承が残っています。

お亀磯伝説とは

伝承によると、島の名前は亀島。

1000戸を超す民家があったとされます。

島の中ほどに狛犬代わりに2頭のシカをまつった祠があったのですが、信心深い老夫婦の夢に神様が現れ、「シカの目が赤くなったら島が沈む」と告げたそうです。

この話を聞いた若者がいたずらでシカの目を赤く塗ったところ、その晩に地震と大津波が来て島は海に沈みました。

生き残ったのは神様のお告げを信じて脱出した老夫婦だけ。

老夫婦は神様に感謝してシカをおまつりしました。

それが徳島市福島にある四所神社で、今も神社の境内にはシカの像が飾られています。

古文書に残るお亀磯伝説と亀島に関する記述

この伝承が真実かどうかは分かりませんが、徳島に残る古文書にはお亀磯伝説に関係する記述がたくさんあります。

徳島藩が書かせた江戸時代後期の地誌「阿波志」には、四所神社が御亀洲から移転してきたと書かれています。

徳島市西二軒屋町の潮見寺は大瓶浦という場所にありましたが、寺が水没したため、移ってきたとされています。

御亀洲、大瓶浦はともに「かめ」という言葉が入っており、亀島のことではないかといわれているのです。

阿州奇事雑話での記述

阿波志より10年ほど前に書かれた「阿州奇事雑話」には室町時代、徳島沖に1000軒の民家が並ぶ島が存在していたことが記されています。

もっと昔に書かれた室町時代の軍記物語「太平記」には、「阿波(今の徳島県)の雪の湊に大山のような津波が押し寄せ、1700世帯の漁村が海に沈んだ」と記録されています。

雪の湊の場所は一般に徳島県南部の海部郡美波町由岐地区と考えられていますが、亀島とする研究者もいます。

勝浦郡志での記述

勝浦郡教育会が1972年に出版した「勝浦郡志」では、亀島を沈めた地震は安土桃山時代の文禄地震だとしています。

しかし、雪の湊が亀島だとすれば、室町時代に被災したことになります。

室町時代の1361年には、南海トラフを震源とする巨大地震が発生しました。

正平南海地震です。

現在の大阪でも津波の死者が相次いだと伝えられているだけに、大阪より太平洋に近い徳島を巨大津波が襲ったとしても不思議でありません。

たとえ島が沈んでいなかったとしても、東日本大震災のような巨大津波に襲われた恐怖心がこの伝承を広めた可能性は捨てきれません。

先祖がいつやってくるか分からない地震と津波に備えるよう伝承として教訓を残したのかもしれないのです。

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