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【半人半牛の妖怪】「件(くだん)」の真相に迫る|日本最古の都市伝説

FM都市伝説

世のなかにはさまざまな都市伝説があります。

雪男・ネッシーといった未確認生物の都市伝説、スレンダーマン・口裂け女といった怪異にまつわる都市伝説、マクドナルドのハンバーガーはミミズバーガーだというような企業や日常に関わる都市伝説など。

その中でも江戸時代から日本に伝わる、まさに都市伝説の中の都市伝説といえる存在が「件(くだん)」です。

今回はそんな件に関する様々な噂や件の成り立ちについて紹介します。

「件」とはなにか

「件」の概要

まず件(くだん)とはどのような都市伝説であるかですが、件は江戸時代の後期から日本の色んな地域に出現した妖怪の一種です。

名前が漢字でにんべんに牛で表されていることからわかるように、半分は牛で半分は人の妖怪という変わった姿をしています。

件の噂が流れ始めた当初は、牛の体に人間の顔がついているとされていましたが、昭和中期からは人間の体に牛の顔がついている件の噂も流れています。

幕末に広まった噂では、件は牛から生まれ、人間の言葉を言葉を話します。

寿命は短く数日で死んでしまいますが、作物の生育具合や病気・干ばつ・戦争といった重要な予言をしてから死にます。

そしてその予言は100%当たるというものです。

この噂によれば件は豊作など良いことも予言するので、件を絵に書いて厄除けの護符にする風習があったようです。

これは今流行しているアマビエに通じるものがあります。

アマビエとは半分が人で半分が魚の妖怪です。

アマビエ自身が自分の姿を描いて持っておくと疫病を避けられると言ったと伝わっていることから、コロナを避ける効果があるのではないかとツイッター上で話題になりました。

しかし今伝わっているポピュラーな件の都市伝説は凶事を予言し、すぐ死んでしまうというものです。

こちらは良いことは何も言わないため、件自身が凶兆であるとされるのが大きなポイントです。

件の目撃例は主に江戸から昭和までの西日本に集中しています。

「件」という都市伝説の流布した経緯

件は最初に目撃されたのは1827年の越中国・立山です。

当初は件ではなく「くだべ」と呼ばれていました。

山菜取りをしていた人が人面牛身の妖怪に会い、「疫病が流行り、多くの死者がでるが、私の姿を絵にして持っていれば、病にかからない」と言ったという目撃例です。

このころの件はまさにアマビエのようは存在といえます。

名前が件として最古の目撃例は、1836年に丹後国・倉橋山に件が出た。その後も件が別の場所で出た。と瓦版に記されているものです。

ここまでの件は、山などで出会う怪異です。

幕末の「件」

これが幕末になると、牛が件を産み始めます。

1867年の瓦版によると、出雲の田舎で件が生まれ、豊作になった後に病気が流行ると予言し、死んだという目撃例が伝わっています。

また1909年には長崎の五島列島の農家で牛が件を産み、日本はロシアと戦争すると予言し、死んだという目撃例があります。

ここまでに紹介した昭和初期までの件は、良いことも悪いことも予言します(戦争に関しては勝ち負けに関して予言してはいない)。

そして、件の姿を描いて持っておくと、難を逃れるという解決策がセットになっている噂です。

昭和中期以降の「件」

しかし昭和中期以降に広まった件の都市伝説は、ただ予言をするのみであり、その予言は100%当たり、回避する手段はありません。

そして、このころから顔が牛で体が人間の件も登場しはじめます。

この時期の噂は、西宮市・甲山(かぶとやま)周辺に集中しており、空襲の焼け跡で件が動物の死骸を食べていたとか、ある肉牛商の家に座敷牢があり、そこに件がいたという噂が流れていました。

そして、件という都市伝説が世のなかにひろく知られるようになった原因、また、護符になるというような江戸期の噂はほとんど知られておらず、昭和になってからの噂だけで知られている理由は、このころの噂を元に、作家である小松左京が執筆した『くだんのはは』という作品で件が登場し、有名になったからです。

この本における件は、主人公が戦争で家を焼け出され、身を寄せた家に奥の間があり、そこに気配を感じる。

そこには女の子がおり、女の子の母親は「広島が大変なことになる」「もうすぐ戦争が終わる」という予言をする。

終戦後に、予言のせいで戦争に負けたと思った主人公が奥の間に行くと、牛の角が生えた女の子がいるというものです。

主人公が軍国少年であったため、戦争に負けるというのはあきらかな凶事であり、広島が大変なことになるというのも、もちろん原爆を示唆しており凶事です。

そしてこの件は解決策を提示しません。

この『くだんのはは』に書かれた件をベースにした都市伝説が広まり、現在も伝わっているのです。

そのために勘違いしている人もおり、「件というのは小松左京が書いた小説にでてくる空想上の妖怪なんだから、実際にそんなものはいるわけがない」と言われることもありますが、そうではありません。

後年、小松左京自身がインタビューで、小説に出てくるような件の噂が存在しており、それに基づいて小説を書いたと語っています。

その内容は、戦中の噂として、因果物(いんがもの)で予言をする怪物が伊勢で生まれたと聞いたこと、この件が戦争は終わると言った予言をした噂を聞いたこと、そして戦後に芦屋で件が産まれたことを聞いたと話しています。

一番最近の「件」

一番最近の件の噂では阪神大震災の頃に出現したという噂があります。

震災後に神戸市内を警備会社が警備していると、現場の警備員から「神戸の東側に霧が出て、そこに直立で歩く着物を着た牛を見た」という報告が何件も上がってきたというものです。

このケースでは件が予言をしたかはわかりませんが、凶事(大震災)の時に現れているのはたしかです。

「件」の成り立ちを考察する

ではなぜ、件という妖怪が産まれたのかその成り立ちを考えてみます。

件の目撃例が多い甲山の周辺に神呪寺(かんのうじ)というお寺があります。

このお寺を創設したのが、真名井御前(まないごぜん)という淳和天皇(じゅんなてんのう)の妃であった方です。

その方が甲山で修業していた時、空海が助け、寺を創設したのが神呪寺であると伝わっています。

この真名井御前というのは、海部氏(あまべし)という物部一族(もののべいちぞく)の中の一氏族(いちしぞく)の娘で、丹後半島(たんごはんとう)にある天橋立(あまのはしだて)周辺の「元伊勢(もといせ)」(伊勢神宮に定住する前に現在の伊勢神宮にいる勢力がいた場所)にまつわる神社の巫女であったと伝わっています。

このことがどう件と関わってくるかというと、聖徳太子が建立した四天王寺に牛王(ぎゅうおう)のほこらというものがあります。

これは牛頭天王(ごずてんのう)を祭っているとみられています。

また建立の際に牛が材木を運ぶなど、労働力として使っていたことから牛市がたち、四天王寺が完成すると共に牛が石になったという伝説があります。

この四天王寺を建立した際のスポンサーが、秦河勝(はたのかわかつ)という聖徳太子の教育係だった人です。

そして秦河勝が関わっている他の寺として、有名な広隆寺があります。この広隆寺には牛祭りという祭りがあります。

この祭りでは古くは赤い着物をきて行っていたらしく、実は小松左京が聞いた噂でも牛の角が生えたものは赤い着物をきていたという共通点があります。

そして、聖徳太子の母は穴穂神社(あなほじんじゃ)で生誕したと言われています、穴穂神社がある八尾市は物部氏の本拠地であり、戦争の際には丹後半島の間人村(たいざむら)に疎開していたとつたわっています。

この間人村周辺には竹野神社があり、ここは海部氏に関係のある神社であるといわれています。

ここでも牛にまつわる神事が行われていました。

ここまでの情報をまとめると、もともと聖徳太子や物部氏の周辺では牛を祭っていた。

物部一族である海部氏の娘である真名井御前は、巫女として丹後半島周辺で牛にまつわる神事を行い予言をしており、その真名井御前が西宮・甲山周辺に移住してきた。

その真名井御前に関する風評などが変異して、西日本の各地に広まったのではないでしょうか。

ですから、件の前身であるくたべが産まれたのが、越中国・立山という丹後半島周辺だったのではないでしょうか。

まとめ

件はそのルーツが古代までさかのぼる、大変に歴史深い都市伝説です。

そしてその要素の1つとして、疫病を予言し、その姿を絵に描いて持っておくと厄除けになるというアマビエのような都市伝説でもあります。

そして今まさに件が産まれていてもおかしくない世界情勢です。

不要不急の外出ができず、件を見る術はありませんが、今の西宮・甲山周辺には件の姿があるのかもしれません。

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