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【聴いた人は死ぬ】暗い日曜日の都市伝説とB子が自殺した因果関係

FM都市伝説

【投稿者:片目の子猫さん】

先月、高校の同窓会が開かれました。

我々も30才の節目を迎えたから同窓会をやろう、ということで開かれたのです。

その二次会のとき、Aが言いました。

「おい、あのことを記録に残しておかないか?

「あのこと? B子のことか?」

「そうだ」

「しかし、誰も信用しないだろう」

「それでもいいさ。分かる奴だけが分かればいい。記録しておくべきだ。B子の思い出に」

「そうか……、B子の追善供養として、書くか……」

こうしたことから、B子のことを書こうと思います。

これから書くことは、私が、すべてを直接見聞きしたことではありません。

Aからの情報に加えて、ある程度の推測も含まれています。

それだけはご了承下さい。

B子の自殺と「暗い日曜日」の話

さて、我々は、広島にある公立高校に通っていました。

この学校は、自由な雰囲気が伝統になっていて、個性的な生徒がたくさんいました。

スポーツが得意な者、演劇に没頭している奴、陶芸に人生を賭ける、と宣言する人もいました。

我々の仲間では、Aは、ものすごい読書家でした。

とくに歴史関係では、専門家向けの本を読破していました。

それと同時に、オカルトなどの裏文化の知識も豊富でした。

私は、暗算にかけては学校随一でした。

老舗の商家の息子で、小さい頃から店を手伝っていたので、暗算は得意だったのです。

一方、音楽も好きでギターをやっていました。

でも、音楽に関してはB子がピカ一でした。

B子の母親は、プロの演奏家を目指していましたが、結局、挫折しました。

それで、夢を娘に託して、小さい頃からピアノの英才教育を受けさせていたのです。

娘を、ショパン国際コンクールで優勝させ、世界的ピアニストにする、という設計図を描いていたのです。

このように、みんな別々の得意技を持ちながら、仲間としてバカなことを一緒にしていたのです。

卒業、そして仲間たちはそれぞれの道へ

そして卒業し、仲間はバラバラになりました。

私は、関西大学商学部へ行き、他家で5年間修行をして、家を継ぎました。

Aは、早稲田大学へ進み、現在は大学で歴史の研究をしています。

B子は、東京上野にある東京芸術大学へ進学しました。

本格的なプロの道を目指して勉強を始めたのです。

芸大から合格通知が来て、最初に心配になったのが住むところでした。

音楽を勉強する学生にとっては、防音設備のある部屋が必要です。

もしスタジオが併設してあって、そこにピアノが置いてあればベストです。

確かに、防音完備のマンションがありますが、それほど多くはありません。

そして、そういうマンションは、もうすでに、音楽関係の人々が借りているのです。

B子は、大学の学生課に相談しました。

学生課が把握している限りでは、大学の近くに、防音完備のマンションが建設される予定になっていました。

ただ、完成は1年後なのです。

それで、大学を通して、そこを借りることを、先行予約しました。

1年間は、普通のマンションで我慢をするしかない。

結局、荒川区にある、築20年のワンルームマンションを借りることになりました。

1年間の辛抱です。

ピアノの練習は学校でやり、下宿で音楽を聴くときはヘッドフォンを使う、ということにしました。

新しく始まった東京での生活

さて、いざ実際に部屋に入ってみると、さすがに“古い”というのが目立ちました。

独身の中年男性が住むような部屋です。

ハイティーンの女性が住む部屋ではありません。

まして、芸術の感性が強い芸大の学生にとってはげんなりする空間です。

ただ一つの救いは、大学まで、電車に乗ればすぐ、ということでした。

下宿は寝るだけの場所、ということに割り切ったのです。

こうして、B子の大学生活が始まりました。

そして、B子は、愕然としました。

周囲の学生が、みんな優秀なのです。

B子自身、英才教育を受けて、地元では「天才か」と言われたこともあります。

でも、東京芸術大学へ入ってくる学生は、全員が、地元で天才と言われていたのです。

地元で天才でも、東京芸術大学では平均的なレベルです。

優秀な学生の実力は、とてつもないものでした。

そんな彼らでさえ、国際コンクールでは歯が立ちません。

B子の実力では、授業についていくのが精一杯なのでした。

B子は落ち込んでしまいました。

どこからか聞こえてくる不規則なメロディー

5月の末の日曜日のことです。

その日は雨でした。

B子は、マンションの部屋で、ぼんやりしていました。

雨で、風もあるので外出できません。

というより、外出する気がないのです。

ただただ、部屋に籠っていたのです。

大都会の雰囲気に馴染まない……。

友達ができない……。

高校のときの仲間が恋しい……。

ふと気がつくと、妙な音が聞こえました。

ブーン、ブーンという音です。

何かな?

風があるから、外の電線が揺れて音がするんだ、と思いました。

でも、気になりだすと、音が耳についてきます。

それ以来、妙な音が聞こえるようになりました。

いつも必ず、というわけではありません。

落ち込んでいるとき、ふと気がつくと音を聞いているのでした。

なお、なぜ私がこのことを知っているか、を説明しておきます。

私たちの仲間で、東京の大学へ入ったのは、AとB子の二人だけです。

それで、AとB子は、月に一回くらいのペースで会っていたのです。

別に恋愛感情があったわけではありません。

高校の仲間としての絆です。

B子にとって、昔の仲間と会ってバカ話をするのが、唯一の気分転換だったのです。

Aの話によれば、大学に入学してから、B子は目に見えて憔悴していったとのことです。

Aは、わざと大げさなバカ話をして、B子を励ましていました。

さて、Aと会っているとき、B子は、ブーン、ブーンという音のことも話しました。

6月ころは、

「電線が風に揺れてブーンという音がするの」

「何だ、それ?」

というだけの軽い話題でした。

そのうち、ブーンの音が気になりだすと、

「ブーンという音が、まだするのよ。電線じゃないようなんだけど」

「それじゃぁ、電気だと思う。B子のマンション、古いんだろう?」

「うん」

「だったら、間違いない」

「え?」

「そら、高校の物理室で音がしていたじゃないか」

「ああ、電気の配線が不良だったやつね」

「うん、ハゲ先生が直してくれた」

「そういやぁ、ハゲのあだ名は傑作だったね」

こういうことで、まだ、ブーンの音は、話題の中心にはなりませんでした。

Aとの会話では、ブーンの音は中心話題ではありません。

けれども、B子の生活の中では、次第に大きなウエイトを含めるようになりました。

学校の授業はハイレベルです。

周囲の学生は、みな優秀です。

B子は、自分だけが取り残されているように感じました。

落ち込んで、部屋に籠っていると、ブーンの音が聞こえてくるのです。

音を聞くと、さらに落ち込んでしまいました。

そのうち、音にメロディがつくようになりました。

ブーン、ブン、ブン、ブーン……。

ブン、ブーン、ブーン……。

というような具合です。

11月の終わりごろ、AはB子と会いました。

B子は、見違えるほど、疲労していました。

「おい、B子、大丈夫か?」

「実はね……、前にも言ったはずだけど……」

B子は、ブーンの音のことを説明しました。

「ふうん、そうか……」

さすがに、Aは考え込みました。

電線が風に鳴っているとか、配線不良の雑音とかではないようです。

B子の顔を見ていて、Aは思いつきました。

「どんな音なんだ?」

「え?」

「メロディーになっているんだろう?」

「うん」

「それ、採譜してみろよ。おまえの得意分野じゃないか」

「あっ、そうか。気がつかなかった」

「それがいいよ。ところでさぁ、おれ……」

Aは、しばらく会えなくなる、とB子に言いました。

Aの大学のある教授が、壱岐の島(いきのしま)で発掘調査をすることになりました。

鎌倉時代の元寇(げんこう)関係の遺跡です。

教授が、この発掘の手伝いを学生たちに求め、Aも参加することになったのです。

一ヶ月ほどの離れ島での生活です。

でも、少しながら日当も出ますし、この期間中の授業は免除となります。

歴史が好きなAとしては、願ってもないバイトだったのです。

Aは、壱岐の島で発掘調査の手伝いをし、その間はB子と連絡をとりませんでした。

一ヶ月後。

Aが下宿に戻ると、ちょうどそこに刑事が来ました。

何事だ、とビックリしていると、刑事が言いました。

「B子さんのことで、お話しを、お聞きしたいのですが」

「B子! どういうことです?」

「実は……」

一週間ほどまえ、B子は自殺したのだそうです。

現場の状況からみて、事件性はないようでした。

それでも、自然死ではないので、一応、調査しているのだそうです。

この数ヶ月の間に、B子と接触を持った人物には、すべて話を聞くのだそうです。

さすが警察ですね。

Aは、ありのまま、B子が落ち込んでいたことを話しました。

刑事は、納得して帰りました。

刑事が帰った後、溜まっている郵便物を整理していると、B子からの封書がありました。

あのブーンの音のメロディーを音符にした紙が入っていました。

音符を書いた五線紙だけです。

手紙は入っていませんでした。

Aは、五線紙を見ながら、涙が出てきたそうです。

B子が自殺した原因

次の年の2月。

Aは、春休みで広島へ帰ってきました。

私も広島へ帰りました。

そして、Aと会って、B子のことを話しました。

仲間が死んだのです。

しかも自殺。

私もAも、がっくりしました。

Aが、言いました。

「おまえ、音楽は分かるよな」

「まあ、少しくらいなら」

「これ、どういう曲なんだ」

と言って、あの五線紙を出したのです。

私は、ギターで、そのメロディーを弾きました。

「なんだか、陰気なメロディーだな」

これは私の感想です。

Aは、首を傾げました。

「どっかで聞いたことがあるようなメロディーだ」

2日後、Aがやってきました。

「あのメロディーが分かったぞ。『暗い日曜日』だ」

『暗い日曜日』は、1930年代に、ハンガリー人のレジェーが作曲した歌です。

かなりネクラな曲で、この歌を聞きながら自殺した者が多数いるとのことです。

Aの話によると、オカルトなどの裏文化愛好者の間では有名な曲なのだそうです。

ブーンの音のメロディーが分かりました。

でも、何も分かっていません。

ブーンの音は、何だったのでしょうか?

Aと話し合い、とりあえずの結論を出しました。

B子は、音楽に関してかなりの才能があります。

落ち込んでいった感情を、自分でも意識しないうちに、音の形で実体化したのではないでしょうか。

落ち込めば落ち込むほど、単なる音ではなく、メロディーとして組み立てられたのではないでしょうか。

そして、そのメロディーが『暗い日曜日』と一致したのです。

一致、というのは言い過ぎかもしれません。

たまたま似てしまった、ということなのでしょう。

暗い、滅入るような曲想というのは、どうしても似るものですから。

ブーンの音は、B子が産みだした妄想だったのです。

飛躍した発想も可能です。

何者か、あるいは何かが、彼女の心理状態につけこんで、ブーンの音を聞かせたのかもしれません。

次第に音を長くし、メロディーをつけ加えていったのです。

彼女は、音を聞いてどんどん落ち込み、次第に追いつめられて、とうとう自殺したのです。

何者か、あるいは何かは、どん底の心理状態で自殺した者の命を糧としているのです。

これは考えすぎでしょうか?