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【日本のオーパーツ】謎多き聖徳太子の地球儀|その存在自体が矛盾だらけ

FM都市伝説

考古学上、作られたとされる年代の文明では制作不可能だと考えられる出土品は「オーパーツ」と呼ばれています。

オーパーツは世界中に存在しており、当時の技術では作ることができないと言われるクリスタルスカルやアンティキティラ島の機械、当時未発見だった南極大陸の姿が描かれているピーリー・レイースの地図等が知られています。

日本にもオーパーツは存在しており、穴を開ける技術が未だ不明である勾玉(まがたま)や宇宙人あるいは宇宙飛行士のような姿をした遮光器土偶等が挙げられます。

今回はそういった日本のオーパーツの1つである「聖徳太子の地球儀」について紹介します。

聖徳太子とは

聖徳太子は、日本人の多くの方が日本史の授業で習う、大変有名な歴史上の人物です。聖徳太子は厩戸皇子とも呼ばれ、飛鳥時代に推古天皇の摂政として活躍したことが有名です。

政治の面で才能を発揮し、憲法十七条や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣を成し遂げました。また、一度に10人の話している言葉を漏らさず聞き取り返答したというエピソードも聞いたことがある方は多いと思います。

一万円札の顔にもなったこともあり、日本人にとって非常に馴染み深い人物です。

日本の歴史上、偉業を残した人物である一方で、近年では本当に実在したのか疑問視されることや、有名な肖像は別人であるという意見もあり、現代の日本についての予言を残していると言われる等の都市伝説も存在し、謎が多い人物であります。

聖徳太子の地球儀と都市伝説

聖徳太子の地球儀とは

日本のオーパーツの1つである「聖徳太子の地球儀」は、その名の通り聖徳太子が所持していた地球儀とされるものです、606年に聖徳太子が建立したという兵庫県太子町にある斑鳩寺(いかるがでら)に伝わっており、別名「地中石」とも呼ばれています。

見た目は、手のひらで握るボールの様な形状であり、直径約15センチメートル、色は茶色で一見石のようです。現代の地球儀は球面に陸地と海が描かれたものが多いですが、この聖徳太子の地球儀に関しては表面の凹凸で陸地と海が表されており、少々立体的です。

この地球儀がオーパーツとされている理由としては、南北アメリカ大陸やユーラシア大陸、アジア、アフリカ大陸、南極大陸が正確に配置されているからです。聖徳太子が活躍した時代では、それぞれの大陸の存在はおろか、地球が丸いという知識も存在するはずがないため、当時の技術では制作することが難しいと考えられています。また、上記の大陸以外にも地球儀の太平洋の中心辺りに謎の大陸が配置されています。これは、約12000年前に地球に存在したが水没により消滅してしまったと言われているムー大陸ではないかと言う説も存在します。

超能力者であった聖徳太子が地球儀を作った?

聖徳太子の地球儀は、聖徳太子自身が制作したとも言われており、当時の日本では知られていない知識を持っていたのは、聖徳太子が超能力者だったからではないかという都市伝説も唱えられています。聖徳太子が超能力によって正確な地球の形状や大陸の位置を把握し、かつて存在したとされるムー大陸の知識も得て、この地球儀を完成させたのではないかと噂されているのです。

地球儀制作されたのは江戸時代?

聖徳太子の地球儀は、聖徳太子が生きた飛鳥時代から伝わるものとされていますが、近代の調査により、江戸時代に制作されたものではないかという説も存在しています。

その説を裏付ける理由が、聖徳太子の地球儀の内、南半球部分に刻まれた「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字です。

地球儀に刻まれた「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」とは

古代ギリシアの時代に、かつて南半球の大部分を占めたとされる南方大陸の存在が唱えられ始め、大航海時代の1520年にフェルディナンド・マゼランが、現在のフエゴ島(南アメリカの南端に位置する)を発見し、それを幻の南方大陸の一部だと報告したことによって、「メガラニカ」という名称が付けられて広まりました。ちなみに、メガラニカはマゼランのスペイン名が由来になっています。

少々わかりづらいですが、以前から幻の南方大陸が存在するのではないかという仮説があり、マゼランの航海での発見をきっかけにメガラニカという名称がその大陸を表すものとなり、世界中に広まっていったという流れになります。

後世の地理学の発展により、マゼランが発見した南方大陸の一部は島であったことが判明し、またニュージーランドをはじめとする南半球の島々が発見されたことにより、幻の南方大陸メガラニカの存在は否定されることとなりますが、それまでは多くの世界地図にメガラニカの存在が描かれていました。

江戸時代に地球儀が制作されたと考えられる理由

1602 年に宣教師マテオ・リッチによって作成された「坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)」が日本に初めて伝わった世界地図であり、そこにはメガラニカが描かれています。このことから、日本においてメガラニカの名称が知られるのは飛鳥時代よりはるか後世のこととなり、「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」と刻まれた聖徳太子の地球儀は飛鳥時代に制作されたものではないという説が唱えられています。

また、1712年の江戸時代に寺島良安(てらしまりょうあん)が編纂した百科事典である「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」に掲載された「山海輿地全図(さんかいよちぜんず)」という世界地図と聖徳太子の地球儀の地理が類似しており、この百科事典を参考に制作されたという説や寺島良安自身が地球儀を作ったという説も存在します。

地球儀と江戸時代を関連付けるものとしては、もう1つ「常什物帳(じょうじゅうもつちょう)」という目録が存在します。「常什物帳」は斑鳩寺所蔵の宝物についての目録であり、江戸時代に作成されました。「地中石」として聖徳太子の地球儀のことが記載されているため、少なくとも目録が作成された江戸時代には存在していたことが判明しており、逆にそれ以前の時代に存在していたと証明できるものは現存していません。

また、地球儀というアイテム自体は戦国時代末期に、ポルトガルの修道士達により日本に持ち込まれており、聖徳太子の地球儀は制作されたのはそれ以降の時代なのではないかと考える意見もあります。

地球儀に存在する太平洋上の謎の大陸

聖徳太子の地球儀は江戸時代に制作されたのではないかという説を紹介しましたが、地球儀の由来を記した書物等の手がかりが一切発見されていないため、地球儀がどの時代から存在するのか等、詳細がわかっていません。また、聖徳太子が生きた飛鳥時代に制作されたものではないとしても、地球儀自体には謎が多く残っています。

その謎とは、聖徳太子の地球儀において、太平洋の中心辺りに配置されているムー大陸ではないかと言われている大陸です。

ムー大陸が太平洋上に存在するという説については、1931年にジェームズ・チャーチワードが自身の著書「失われたムー大陸」で発表したことが初出です。ムー大陸自体が実在不明な幻の大陸であるため、謎の大陸がムー大陸であるのかは定かではありません。しかし、仮にムー大陸が存在したとすれば1931年の初出以前に、太平洋上に位置していたことを知っている者が、この地球儀をつくったということになります。あくまでも都市伝説となりますが、非常にロマンのある話にも感じられます。

ちなみに、聖徳太子の地球儀制作の参考にしたという説のある寺島良安の「山海輿地全図」には、太平洋上に大陸は描かれておりません。地球儀のこの位置に大陸が配置された理由も、大陸の正体も大きな謎となっています。

まとめ

聖徳太子の地球儀は、その正体や製作者、制作された時代、何故斑鳩寺に伝わっているのか等、謎が非常に多い存在です。

近代の調査を行った上でも判明しないことが多く、現在でも様々な説や都市伝説が唱えられています。

不明なことばかりではありますが、ミステリアスであるが故に、人々の間で様々な想像を掻き立てる存在になっていることは事実であり、大きな魅力を秘めたオーパーツであると思います。

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