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【恐怖の体験談】墜落した『日航機123便』に私の知人が乗ってしまった話

FM都市伝説

【投稿者:moeさん】

この事故は昭和60年の真夏に起きた事故です。
このとき、たまたま会社がICメーカーであって、当時日本電子機械工業会の定例ミーテイングに東京出張しました。

その会議で、三菱電機勤務の方と名刺交換しました。
まだエレクトロニクス業界での付き合いかたも知らない若輩です。この三菱電機の担当の方(伊丹工場の方でした)と会話することができました。
いろいろICの将来性、ICの種類、ICが日本の将来性を担っている、と熱く語ってくれました。
会議の”お開き”は午後7時だったのですが、この三菱電機の方は、運命のJAL123便の”予約”を入れているから、午後6時前に帰る、といって、「お先に失礼します」との言葉を丁重に述べられて、私にも「またお会いしましょう」と約束してくれました。

帰りは新幹線で関西に帰る予定していたのですが、新幹線の予約は入れていませんでした。
今後のことも考え、当方もこのJAL123便にしようか、と一瞬悩みました。
このときです。三菱電機のこの方は、「あなたは新幹線で(関西に)帰ったほうが良い」と言われました。

エアーがたぶん混雑しているから、予約キャンセルは期待しない方が良い、と言われたのですが、この三菱電機の方がいうには、「飛行機は事故が多いから、エレクトロ二クス使った新幹線の方にしなさい。(私も)あまり乗り気ではないですから」と。
帰りの新幹線で京都駅に下車して、自宅までタクシーで帰った(京都には11時くらいで、バスはなかった)ときのことです。
タクシーの運転手さんが言うには、「飛行機の墜落事故があった。かなり大規模な事故らしい」というのです。

このときピンときました。「あのJAL123便だろう」と。
帰宅してからテレビは深夜までこの事故を報道していました。
全員死亡の大事故かもしれない、と。
もし、あのとき新幹線にしないで、このJAL123便にしていたらと。ゾッとしました。
エレクトロニクス業界なのだから、新幹線にするべきで、この三菱電機の出席者の方も、不本意だったと思います。

たぶん、この方と最後に話したのは、私が最後だったかもしれません。
エレクトロニクス業界にいる以上、飛行機は使いたくないといわれていたのですが、まさかこの飛行機墜落事故に遭遇されるとは。

あの三菱電機の担当の方は、不本意な出張だから、いい感じがしないといわれていた、と思います。こちらも危うく、事故に巻き込まれるところでした。
最後の言葉が、「(飛行機なんか)嫌いだ」と言われていたように思います。
運命と言われればそれまでですが、死は身近にある、と思いました。
その三菱電機の方は、なにか生気に乏しい感じがしていました。気のせいかもしれませんが、今思えば、この方はこの時点で自己の死期を悟っていたのかもしれません。
生と死は、まさに「お盆」のころにその兆候がやってくる、それ以来、夏を喜べなくなってしまいました。

天国に行かれたと思っていますが。